実業のブラジル 2011年7月号 南の国境から見たブラジル 連載59への特別寄稿

実業のブラジル 2011年7月号 南の国境から見たブラジル 連載59への特別寄稿
 
(特別寄稿)
南伯会議所、ぺロッタス、リオグランデを訪問。
 
ポルトアレグレには、1974年サンパウロの大口総領事の誘拐事件後、西川総領事の発案で日本からの進出企業の連絡網完備を目指して、関係者が総領事公邸に集まりました。これをきっっけに月曜会、三水会といった名称で日本からの進出企業の主管者が月に一度昼食会を持つようになりました。
そして、1989年に地元の日系企業と合同で南伯日本商工会議所が設立されました。1994年にメルコスールセミナーと会わせ全伯の日本商工会議所の年次会議を開催、マナウス、べレン、リオ、サンパウロ、クリチーバの各商工会議所から代表者とメンバーの皆さんが来られ、バス2台でコペスール、リオセル、ゲルダウ、倉敷紡績等の工場見学とワイン工場訪問、グラマードでの対抗ゴルフ大会等を実施しました。
その後進出企業の撤退などで活動も低調となり、月例会議もなくなり必要に応じて集まる程度と会議所は有名無形の存在になっていました。ところが昨年4月、当地に根を張り54年の歴史を持つ倉敷紡績の白井康弘重役を会頭に迎え、タバコの都、サンタクルスに新規進出して来たJTI(JAPAN TABACO INTERNATIONAL=日本たばこ事業の海外たばこ事業部門=本社ジュネブ、山本城史重役)、靴の都ノーボハンブルゴの近くに工場買収の形で進出して来た大塚化学(本社大阪、奥村 肇社長)の御三家の形成が可能となり、工場見学などを含む月例昼食会を定期的に実施復活されています。
 
昨年11月のRS州と滋賀県の姉妹県提携30周年の慶祝団((団長:米田耕一郎副知事)の歓迎夕食会を地元コロニアの皆さんもご招待して実施しました。そして627(月)、28(火)の12日のバス旅行を実施しました。今年で一番寒い日に暖房がないバスでで文字通りピコレー(アイスキャンデイ)に成りながら、サンパウロ総領事館から着任間がない後藤 猛領事を団長に白井会頭以下総勢20名弱でRS州南部のぺロッタスとリオグランデを訪問しました。
ジルマ大統領の中国訪問、RS州のタルソ知事の韓国訪問と日本列島を頭越しに外交、経済交流が進んでいます。しかしこの2都市では、日本の領事、商工会議所のメンバーの訪問通知に期待も膨らみ、市役所、市議会、商工会議所、大学などから大きな関心で迎えられ歓迎を受けました。団長の後藤領事がブラジル在勤15年以上の流暢なポルトガル語でその役割を果たしてくれて心強く感じました。
 
ぺロッタス市
ここはRS州南部の中心都市で、RS州内第2の都市でしたが、近年カシアスドスール市にその地位を譲り、現在の人口34万人ほどで第3位にあります。伝統的な農産物の集積地で、州内唯一の外洋港リオグランデとセットになって州内南部地域を盛り立てています。
1963917日に石川県の能登半島の突端の小さな町、珠洲市と姉妹都市提携を結びましたがこれがブラジルと日本の姉妹都市提携の嚆矢となっています。1967年には州都ポルトアレグレと石川県の県庁所在地金沢市がブラジルで3番目の姉妹都市提携をしています。 
ペロッタスにあるペロッタス連邦大学で新しく日本語講座を設ける機運が持ち上がっており、ポルトアレグレの連邦大学との提携を模索しています。姉妹都市、珠洲市の酒蔵に大学生を派遣、杜氏の修業をさせた3人の内、農学部の教授として残っている先生もおられ、近い料来日本酒工場の建設を検討して行きたいとの総長の発言がありました。コメどころでもあり水も上質なのでひょっとすれば実現の可能性もあるのかもしれません。期待は持てますが果たして実現するでしょうか?
 
リオグランデ
この港町は州内でも一番古く唯一の外洋に面した港町として歴史的に重要な位置を占めています。
リオグランデの町で特筆して置きたいのは、1956年の8月18日に23人の青年移住者初めてリオグランデ港に下船したところです。RS州議会ではこの日を記念して『日本人の日』に決め、毎年お祝いをしています。5年前の50周年の際に町の中心地の岸壁に日本人下船記念碑を立てました。55周年を前に一行はまずこの記念碑を訪れ、市長以下と会談しました。55年前にこの地に降り立った23人組みのお一人である栗原隆之さんが奥さま同伴の参加でした。初めてのリオグランデ訪問だと云う奥様が感慨深げに記念碑を見つめておられたのが印象的でした。記念碑には日伯議員連盟事務局長の川村建夫衆議院議員が『青雲の志』を揮毫されています。RS州の戦後移民であるわれわれの心に沁みる言葉です。
70年代に輸出回廊計画で日本が融資した大豆積み出し施設は7万トンの倉庫型サイロと共にポルトノーボに忘れされており、これを見ると心が痛みます。スーパーポートに町のシンボルとなる高さ69メートルで600トンを釣り上げる大型クレーンがあります。これはペトロブラスの水門式造船所(DIQUE SECO)の中で稼働しており見学させてもらいました。これまでは古いタンカーを引っ張って来て船体を改造、内装を施しプラットフォームとして使用する方式でした。この方式で製造されたP53はすでに生産拠点として海上にあります。見学させていただいた造船所は、現場で船体から生産するもので、深海用プラットフォーム8基が継続生産に入っています。この深海油田用のプラットフォーム建設計画は、巨大なもので、リオグランデ市長は、「10年で町の経済規模を倍増させる」と州内最古の町の新しい街づくりに大きな期待を寄せていました。これからのプレサルの開発の波に乗り、リオグランデの町が州第一の町を目指して経済開発を実現させる鎚の音が聞こえて来るような気がしました。
 
午後からもう15年以上日本向けにアカシアネグラのチップを輸出しているタナッキ社のチップヤードと輸出施設を住商ポルトアレグレ出張所の門馬忠雄さんに案内していただきました。来週入ってくる日本船が167隻目で、年間平均60万トンのアカシアネグラのチップを日本に輸出しています。日本では日本製紙と王子製紙が引き取っておりタナッキ社の日本の窓口を住商が握っていますが投資、融資などは一切なく、3万ヘクタールのアカシア林は、タナッキ社の自社所有、世界一のアカシアネグラの栽培会社と組んでの商権は、住商ポルトアレグレの大きなベースカーゴとなっているそうです。
 
RS州は、メルコスールの中心地としての位置付けで、日本からの進出企業誘致を待望して来ました。しかし日本の企業がブラジルに目を向けるとしてもサンパウロ、リオ、ミナスの南東経済圏が中心で南伯のRS州には関心が薄い。『なんでポルトアレグレ?』との質問に答えられるものをわれわれは用意して行く必要があります。ドイツ移民、イタリア移民が主流を占める南伯で幾らかでもブラジル南部に関心を示す日本企業があれば是非南伯日本商工会議所として全力を挙げて支援して行く体制を構築して行きたと思う次第です。
(著者:さわやか商会主・南伯日本商工会議所専務理事、元会頭)
 
写真は、本文にも出て来る住商ポルトアレグレの門馬さんの案内で訪問したTANAC社のアカシアネグラのチップ工場の寸景です。
 
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