Entrega do medalhas para 9 imigrantes メダル授与式(その2)

Entrega do medalhas para 9 imigrantes メダル授与式(その2)
 
日本文化祭のメインイヴェントの一つが州議会議員のカルロス ゴーメスさんが一人一人の先駆移住者9人に手渡した55名の州議会議員の名前を刻んだプレートとメダルの授与式でした。
メダルを受け取っている9人の写真と集合写真を貼り付けて置きます。
9人を代表して栗原隆之さんがお礼の言葉を述べられましたので全文を下記に掲載して置きます。ポルトガル語も(その3)で紹介します。
 
23名の単身青年が、夢と希望に燃えて、1956年初めて日本移民を受け入れるために門扉を開いたブラジルの最南端の位置するリオグランデ ド スール州に新天地を求め移住致しました。我々は、直接その第1陣として上陸第1歩を印しました。
 
移民船ブラジル丸は太平洋を横断、パナマを通過して大西洋を南下、全50日の大航海でした。歴史に残る日本の移民船入港からアフリカ丸までの8年間27便船によって、1786人の日本移民が直接この州に上陸しました。
 
戦前からの先輩移住者の方々と力を合わせ、各自が今日迄頑張ってきました。着伯時の我々は、箸にも棒にもかからぬ「新来青年」でした。この名称には胸の厚くなるロマンの響きを感じます。
 
我々が今日在するのも又、日系コロニアの繁栄も全て開拓先住先輩のご指導、ご支援のお陰であると思考致します。今は亡き先没先輩の御霊に対し感謝の意を表明します。
 
季候風土、風俗習慣、民族の文化、言葉の異なる日本から一番遠い国、ブラジルへ親兄弟と離別し、しかも単身で。。。当時の日本は、外貨制限があり携行ドルは、一人50ドルと成約されていました。現在のレートでは85レアイスとなります。若さとロマンのなせる故でしょうか?
 
以来55年、ブラジルの国造りの一翼を担いそれぞれの分野で活躍し、精励努力致しまいsた。然し、我々は生活の基盤作りにも単身と言う大きなハンディがあり、長い時間が必要でした。今では、各自伴侶にも恵まれ、幸せな生活を築くことが出来ました。
 
現在、我々も高齢者のグループに達しましたが、これからも今日までの足跡を振り返り、同時に今後の課題を考え、移住の意義を探求し、もって次世代の育成に優先努力し、日伯交流の地域社会の拠点造りに貢献していけるように精励したいと思います。
 
最後になりましたが、栄誉ある記念のメダルを拝受し感激しております。我々9名の当州在住者の表彰にご尽力いただきました州議会議員カルロス ゴーメス氏、州議会や州政府、商工会議所副会頭日野原 ペードロ氏を始め南大河州日本移民55周年記念日本文化祭実行委員会共催団体、南日伯援護協会、南伯日本商工会議所、南大河日系協会他、日本コロニアの全ての皆様に心より厚く御礼申し上げます。と共に感謝の意を表したいと思います。本当に有難うございました。
 
2011年8月20日 代表 栗原 隆之
 
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